2011年5月17日火曜日

5月15日 それを口にした瞬間、人生を良い方向に向かわせる まほうのコトバ

◆聖書の言葉
 ・出エジプト記20:24
 「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
  わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」

 ・イザヤ書43:13(文語訳)
 「われは主なり」




◆バイブル・メッセージ

◇序

今日のバイブルサンデーのテーマは、
「それを口にした瞬間、人生を良い方向に向かわせるまほうのコトバ」です。

「まほうのコトバ」
なんだか怪しいタイトルですね。

もちろんそれは魔術や呪術といった意味合いのものではありません。
一言で現実を変えてしまうような、不思議な、ミラクルなイメージが
この言葉にはあるので、今回はあえて「まほう」という言葉を使いました。

実際には、まほう以上の言葉です。

さて、わたしの出身は静岡県です。
窓を開けると富士山がよく見えて、子どもの頃から富士山は風景の一部でした。

静岡県は全体的に水がおいしいようですが、わたしの住んでいた地域の水も
格別冷たくておいしい水でした。
水道水からミネラルウォーターを飲んでいるような感覚です。

それもそのはず、わたしたちが飲んでいたのは、
いつも見ていた富士山の雪どけ水だったのです。

富士山に積もった雪どけ水が、一滴一滴、地下を通って、
近くにある柿田川の湧水(東洋一の湧水と呼ばれる)からわき出しているそうです。

驚きなのは
とても長い年月(諸説あるが一説では400年)がかかっているということでした。

何年も前に空から降った雪どけ水を、現代のわたしたちが飲んでいる・・・
もし仮に400年だとすれば戦国時代の水を飲んでいるのか!
と不思議な気分になりました。

はるか過去にもたらされた天の恵みが、現在にも恩恵をもたらす。

聖書の言葉もまさにそうです。
何千年もむかしに語られた神の言葉が現在にも影響を与えているのです。

「神の言葉は生きており」(ヘブライ4:12)
と聖書にありますが、今も生きてはたらく祝福に満ちた言葉を
あなたにプレゼントしたいと思います。

◇まほうのコトバ

「われは主なり」(イザヤ43:13文語訳)
「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
 わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト記20:24)

今日みなさまにプレゼントしたいまほうのコトバは、この言葉です。

この言葉の中に、どんな状況からも、人生を良い方向に向かわせる
もっとも具体的な秘訣が示されています。
なぜならこれは、神の約束だからです。

内容は非常にシンプルです。

方法は一つ。神の名を唱えること。
場所は限定されていません。どこでもよい。
結果、神が来て祝福してくださる。

これだけです。

だれでもできます。
いつでもできます。

「われは主なり」(イザヤ43:13文語訳)
 
  ※神の名は出エジプト3:14など複数の箇所で名乗られ
   それぞれに神の性質をあらわしているが
   今回は「われは主なり」(アニーフー)を採用している。

この名を唱えるならばどこであっても、
わたしは即座にあなたのところに行って、あなたを祝福する。

あなたが呼べば、わたしは答える。
これが神の約束です。

この「唱える」は、「覚えさせる」とも訳されています(新改訳・口語訳参照)。

実際には「覚えさせる」のニュアンスのほうが強い気がします。
いずれにしても「唱える」と「覚えさせる」の両方の意味が含まれています。

人間の側から見れば、自発的に神の名を唱えるわけですが、
神の側から見れば、神がご自分の名を覚えさせておられる、となるでしょうか。

ということは、神の名を覚えて唱えること
そこにすでに神の導きがあると言えるかもしれません。

神の名を知る、神が自分の名を覚えさせられるということは
決して偶然やってくるものではありません。

それは人生の中でもっとも重要な出来事であり、恵みの時です。

「われは主なり」
「わたしの名の唱えられるすべての場所において
(わたしの名を覚えさせるすべての場所において)、
 わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト記20:24参照)

「われは主なり」
この神の名を口にした瞬間、これまで無関係であった、
神とその人との間に、接点が生まれます。

「われは主なり」
この言葉を唱えた瞬間、自分の名を呼ばれた神は、
すぐにその人に臨み、祝福されます。

「われは主なり」
神の名を呼んで神が来られたということは、
その瞬間から、人生が良い方向に向かっていることを意味します。

暗闇に電気がつくと、その瞬間、闇は去ってなくなるように
神は光ですから、この方が来られた時点で、
わたしたちの人生を覆う闇、心を覆う闇は消え去っていくのです。

◇実例

-実際の礼拝では、ここでいくつもの実例を紹介させていただきました-

 ・一人の青年の体験。大事故のさなか、神の名が自分を守ってくれたという経験。
  その事故の経験が、人生を変えていくこととなった。

 ・彼が他の人にそのことを話した数日後、
  それを聞いた人が同じような事故を経験する。
  そして神の名が自分を守ってくれたと証言。

 ・ある婦人。家のリビングで、毎日人しれず神の名を唱えているうちに
  その場所が祝福されていく。
  そのリビングで家族やさまざまな人の人生が変えられ、祝福されていくこととなった。

 ・世界で1,2例、日本でも症例のない危機的な病にかかられた女性。
  4度の生命の危機から守られる。

 ・余命2ヶ月と宣告された末期ガンの方が神の名を唱えると癒され、2年後に再会。
                                       
  などなど。

◇結び

ここまでたくさんの実例を紹介してきました。

「我は主なり」
「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
 わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」
             (出エジプト記20:24)

この神の約束がいかに真実で
「それを口にした瞬間、人生を良い方向に向かわせるまほうのコトバ」と題した
その理由が少しでもおわかりいただけたでしょうか。

この約束は、わたしたちに無条件に与えられています。

本来なら、それを受ける資格はわたしたちにはありませんが
2000年前、主イエス・キリストが神と人間の架け橋となり

全人類のために十字架にかかって死んで下さったことによって
それを受け取ることができるようになったのです。

主イエス・キリストをまことの神、救い主と信じて
イエスの名(神としての名)を呼ぶ者に
救いと祝福がもたらされるのです。

 ※「イエス」という名は、神がこの地上でおとりになった名。
   尊ぶべき名であることは当然であるが、
   ここでは神のご本質を現す名(御名)とは区別している。

冒頭の富士山の地下水のたとえのように
2000年前、人類にもたらされたその恵みが
地下水のように脈々と受け継がれ

信じて神の名を呼ぶ者の心に今も泉となってわき上がる
変わることのない神の約束なのです。

あなたもそのすばらしい恵みを体験されますように。
絵に描いた餅で終わることがありませんように。

ぜひ主の御名を呼び、実際に体験してみてください。

「われは主なり」

それを口にした瞬間
いつ、どこにいても、あなたは神様とつながるのです。

神とつながったその瞬間
人生はすでに良い方向へと、向かい始めています。

一度開かれれば永遠につきることのない命の泉が
御名を呼ぶすべての人の心に開かれますように。

この祝福の言葉、まほうのようにすばらしいコトバ、御名が
あなたの心に無限にあふれますように。

主は約束して言われます。
「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
  わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」
             (出エジプト記20:24)

あなたもぜひこの神の御名を呼んでみてください。
「われは主なり」