2011年12月21日水曜日

クリスマス劇練習

音楽劇「クリスマスの夜」の上演がいよいよ近づいてきました。
★12/25(日)10:30~ ぜひお出で下さい。


練習風景を少し・・・


2011年12月19日月曜日

12月18日 クリスマス礼拝

聖歌隊賛美
「もろびとこぞりて」「神の御子は」


御言葉  ◇ローマの信徒への手紙6:23
       ◇マタイ2:1-12
    メッセージ・・・東方の学者たちの礼拝
洗礼式
Nさんが洗礼を受けられ、新しく私たちの教会のメンバーになられました。
感動的な洗礼式でした。


 
教会学校生徒の表彰式&プレゼント 
             


★ 皆勤賞・精勤賞・努力賞のお友達 ★  

来週12/25はいよいよクリスマス音楽劇「クリスマスの夜」を上演します。
子供たちも練習をがんばってきました!
ぜひ、おいでください!!




christmas wreath  クリスマス・リース

今日は玄関に飾るクリスマスリースの由来と、意味についてです。

2011年12月15日木曜日

12月15日 福井教会のクリスマスの飾り



もうすぐクリスマスですね。
教会の前庭に、今年はカーテンタイプのツリーの電飾が登場しました!

玄関にはキリストの降誕の置物が飾られています。

礼拝堂の後方にあるクリスマス・ツリーです。


ぜひ、クリスマスは教会へお出で下さい。



2011年12月6日火曜日

Christmas tree クリスマス・ツリーの起源

クリスマスと言えばクリスマスツリー。
素敵なオーナメントで飾られたツリーをいたるところで見ることができます。

今日はクリスマス・ツリーの起源をご紹介します。








2011年12月3日土曜日

12月25日 音楽劇「クリスマスの夜」のお知らせ

12月25日(日)10:30~
福井教会の聖歌隊が音楽劇「クリスマスの夜」を上演します。
教会でほんとうのクリスマスをお祝いしましょう。

ぜひ、おいでください!

2011年11月10日木曜日

ご案内☆11月のバイブル・サンデー


落ち葉が風に舞う頃となりました。
朝晩めっきり冷え込むようになりましたが、皆様はお元気でお過ごしでしょうか。

さて今月のバイブル・サンデーは11/20(日)10:30~です。
『絆』がテーマとなっています。

今年最後のバイブル・サンデーです。
ぜひ、お出で下さい。

2011年9月21日水曜日

9月18日 人生の四季を生きる

◆聖書の御言葉 
・ヨハネによる福音書15:4、5(新約聖書p198)
  「わたしにつながっていなさい。・・・
  わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
  もし人がわたしにつながっており、
 またわたしがその人とつながっておれば、
 その人は実を豊かに結ぶようになる。」
 
・出エジプト記20:24(旧約聖書p127)
  「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
 わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」
 
◆バイブル・メッセージ 

◇人生の四季

 わたしたち日本人は春夏秋冬、四季折々の自然の美しさの中で生きています。
 
  スイスの有名な精神科医ポ-ル・トゥルニエは
  人生を四季になぞらえ、4つの年代区分をしました。
 
 
  春:0~20歳  準備の期間 将来や仕事のことを準備する学生の時代    
  夏:20~40歳 活動の期間 社会活動、結婚・出産・育児に携わる時代
  秋:40~60歳 収穫の期間 活動の結果を収穫する時代
  冬:60歳以上  成熟の期間 人生の中で一番の成熟期
 
 
◇季節ごとの特徴
 
人生の四季には、それぞれ特徴や課題があります。
 
 
  春(0-20歳)
  春の季節の中心は、思春期です。
  子供たちは成長し、親を離れ、自立へと踏み出します。
 
  別名「嵐の時代」と呼ばれるこの不安定な時期は、様々な葛藤を経験します。
  本人にとっても、親にとっても、デリケ-トで難しい季節です。
  また、この時期にする決断が人生に大きく影響するので、大切な期間と言えます。
 
 
  夏(20-40歳)
  夏の季節の中心は、社会人としての生活や結婚などです。
  夏は暑く、汗をかく季節ですが、まさに汗水たらして働き、活躍する時期です。
  誰と結婚するか、あるいは独身でゆくか、大きな決断を求められます。
  結婚・出産・育児という人生に踏み出す方もあるでしょう。
 
  男性も女性も、社会において活動し、仕事中心の生活が始まります。
  と同時に、激しい競争のただ中に投げ出され、厳しい環境に突入します。
                                       
  秋(40-60歳)
  秋の季節の中心は、社会的地位と責任です。
  収穫の季節にふさわしく、職場でも責任ある重要なポジションにつき、社会的な安定を果たすはずですが、現代は不況のためにそうもいかないのが現実です。
 
  「会社」「仕事」「お金」「出世」そういった目標のみに価値をおいて歩んで来た人にとっては、厳しい季節となるかもしれません。
  思い描いてきた人生設計と、大きく異なる結果が待っていることも多いからです。
 
 
  冬(60-)                                 
冬の季節の中心は「老いと死」の問題です。
  第二の人生と呼ばれる季節ですが、必ず迎える死への準備期間でもあります。
  これまでの人生をふり返り、なにが大切で、なにが大切でないかを見きわめ
  もう一度軌道修正し、やり直しができるチャンスの期間です。         
 
  この期間、みずからの歩んできた人生に対して、どれだけ正直に向き合えるか
  老いと死にどのように向き合うか。                     
それがそのまま、その人の「人生の質」「人生の豊かさ」を左右することにもなるでしょう。
  そして、人生の長さではなく、人生の質を豊かに高めることができた人は、真実な意味で幸福な人と言えます。
 
 
◇真の豊かさ
  人生の四季を見つめていく中で、大切なキーワードが出てきました。
 
 
  「収穫」「豊かさ」「豊かな実り」などです。
 
 
  これらのことに関する聖書の言葉に耳を傾けてみましょう。
  イエスは、人生の豊かさ、「実り」についてこのように語っています。
 
 
  「わたしにつながっていなさい。・・・
   わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
   もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、
   その人は実を豊かに結ぶようになる。」(ヨハネ15:4,5)
 
 
  イエスはここで、豊かな実りある人生を歩む、ただ一つの秘訣を教えています。
  「わたしにつながっていなさい。」(ヨハネ15:4)
 
 
  聖書によれば、イエスは神ご自身です。
 
 
  つまり、「わたしにつながっていなさい」とは、神につながっていなさい、との意味です。
 
 
  豊かな実りある人生を歩む秘訣は、これだけです。
 
 
  ここでは、ぶどうの木の幹と枝が
  神と人間(わたしたち)の関係にたとえられています。
 
 
  枝は、幹につながっている間は、幹から養分を得て
  元気に花を咲かせ、実を結ぶことができます。
 
 
  しかし、枝が幹から離れた瞬間
  その枝は確実に枯れていきます。
 
 
  実を結ぶどころか
  枯れる、死ぬという未来だけが残ります。
 
 
  幹につながっていた時は
  幹の中を流れていた養分を共有していました。
 
 
  それ(養分)こそが、この枝の命でした。
 
 
  しかし、幹から離れた瞬間
 
 
  枝を生かしていた養分が
  もう流れ込んでこない・・・。
 
 
  だから、枯れる
  「限りある命」になってしまったのです。
 
 
  もうおわかりでしょう。
  これこそが、聖書が示すわたしたち人間の姿なのです。
 
 
  人間は神と同じように
  永遠に生きるものとして創造されましたが
 
 
  人間が神から離れた結果
  死を迎えることとなったのです。
 
 
  わたしたちが
  神から離れて生きるということは
 
 
  幹から養分を得ないまま、枯れていくだけの枝と
  同じ運命をたどることなのです。
 
 
  それでも、わたしたち人間は
  なんとか代用品で間に合わせ、その穴を埋めようとします。
 
 
  花瓶に水を入れて枝をさすと
  少しは命をもたせることができます。
 
 
  少しの期間
  人々の目を楽しませ、花を咲かせることはできます。
 
 
  しかし
 
 
  それだからといって
  この枝の運命が変わるわけではありません。
 
 
  花瓶にさした花を
  なんとか長持ちさせようと水を変えても
 
 
  本当の幹にはつながっていないので
  やがて枯れてしまう運命なのです。
 
 
  この世の喜び、この世の豊かさ、この世の繁栄、この世の華々しさ・・・
 
 
  それらを追い求めることは、確かにやり甲斐があっておもしろく
  充実感を味わうことができます。
 
 
  なにかに夢中になり、熱中することは
  決して悪いことではないはずです。
 
 
  しかし
 
 
  それだけを追い求めるあまり
  大切なことを忘れないようにと聖書は注意を促します。
 
 
  わたしたちがこの世で追い求めるもの
 
 
  それらは
  本当の養分ではなく、あくまで代用です。
 
 
  幹である神から離れた人生には
  必ず、枯れて死ぬ、という運命が待っているのです。
 
 
  この、聖書が示す現実を
  どう受け止めるのか。
 
 
  それは。一人一人の選択に委ねられています。
 
 
  イエスは
  いつかは枯れてしまうこの世の一時的な実りではなく
 
 
  永遠に続く、真の実りを得るために
  しっかりと神につながるよう勧めているのです。
 
 
  「わたしにつながっていなさい。」(ヨハネ15:4)
 
 
  そして、具体的に神とつながる方法も
  聖書は記しています。
 
 
  「わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト記20:24)
 
 
  神の名を呼ぶ(唱える)ことです。
   ※神の名を呼ぶことに関しては、これまでのバイブルサンデーメッセージをご参
    照ください。
 
 
  神の名を呼ぶ時、ご自分の名を呼ばれた神はその人に答え
  その人とつながって永遠の命を共有されるのです。
 
 
  幹から枝へと
  豊かに養分を送られるのです。
 
 
  その時
 
 
  枯れかけていた人間の心は
  新しい命で満たされます。
 
 
  青々とした葉がしげり、美しい花を咲かせ、豊かな実を結び
  真の豊かさで満たされるのです。
 
 
  イエスは言われました。
  「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
   また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。」
  (ヨハネ11:25~26)
 
 
◇結び
  最後に、一つだけ付け加えておきたいことがあります。
 
 
  今回は「人生の四季を生きる」というテーマで学びました。
  それぞれの季節を、充実して生き、真の実りを得られたならどんなに幸せでしょう。
 
 
  しかし、すべての人が春夏秋冬を順調に生きられるとは限りません。
 
 
  大震災の教訓として
  わたしたちは、人生に想定外は起こりうることを学びました。
 
 
  そうです。
  冬の季節の課題である「死」の問題。
 
 
  それがじつはすべての季節に共通する
  最大の、緊急のテーマであることにも気づかされます。
 
 
  今あゆんでいる季節が
  春でも夏でも秋でも
 
 
  「死」というだれもが避けられない問題に向き合い
  前もってそなえること。
 
 
  これこそが、いつなにが起こっても動じない生き方、
  人生の四季を安心して生きるための秘訣だということです。
 
 
  このメッセージを目にするすべての人が
 
 
  幹である神につながり、豊かに実を結び
  祝福を受けられることを願っています。
 
 
  神につながる時、何も恐れることはありません。
  不足を感じることもありません。
 
 
  たとい「死の陰の谷を行くときも」(詩編23:4)恐れることはありません。
  神がわたしたちと共にいてくださるからです。
 
 
  今日わたしたちも、主の名を呼んで
  神であり救い主である主イエスとつながりましょう。
 
 
  イエスは信じる者に約束されました。
  「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)
 
 
  神は言われます。
  「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
  わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト記20:24)
 
  われは主なり
 
   ※神の名を呼ぶことに関しては、これまでのバイブルサンデーメッセージをご参
    照ください。





 

2011年8月24日水曜日

8月21日 あかるい未来への種まき

◆聖書の御言葉
・マルコによる福音書4:26-29(新約聖書p68)
「また、イエスは言われた。『神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。』」
 
・マタイによる福音書13:37(新約聖書p26)
  「イエスはお答えになった。『良い種を蒔く者は人の子』」



◆バイブル・メッセージ

◇序

  小学校などに行くと、二宮金次郎(公人としての名は尊徳)の像を見かけます。
 
 
  彼が遺した、金言と言われる数々の言葉の中に
  「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す」という言葉があります。
 
 
  目先の欲ばかりにとらわれていると、本当の豊かさを失い
  貧しくなってしまうという教訓を与えてくれます。
 
 
  とかく忙しい日々に追われ
  目先のことで一杯一杯になってしまいがちなわたしたち。
 
 
  少し一息ついて、あかるい未来への備えとして種まきをしましょう。

 
◇種について
  

・マルコによる福音書4:26-29(新約聖書p68)
「また、イエスは言われた。『神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。』」


  イエスはこのたとえを通して、命あるものの成長は
  人間の努力や能力の及ばないところにあることを教えています。
 
 
  同じように神の国は、人間が努力して得られたり
  能力がある人が到達できるようなものではなく
 
 
  ただ神の恵みによって与えられるもの
  であることを教えています。
 
 
  種というものは不思議なものです。
  見上げるほどの大きな木でも、種はおどろくほど小さいのです。
 
 
  小さな小さな粒が、どうしてあれだけ大きな木になるのでしょうか。
 
 
  そして種は、ただ成長するだけではなく
  そのまかれた場所に劇的な変化をもたらします。
 
 
  木も草も何もない場所に種をまいたとします。
 
 
  するとそこは
 
 
  緑あふれる場所となり、花が咲き、実がなり
  その花や実をしたって、様々な昆虫や鳥や動物たちが集まる
 
 
  命があふれる豊かな場所になります。
 
 
  一つの種から、一本の木が成長し、周囲にも影響を及ぼし
  一つのワールド、命あふれる世界ができあがってしまうのです。
 
 
  種というものは、そんなはかりしれない
  驚くべき力をもっているのです。
 
 
◇神の国について
   イエスは、神の国もまた
  同じようなプロセスで実現していくことを教えられました。
 
 
  わたしたちの心に、種がまかれることによって
  それが心の中で成長し、実を結びます。
 
 
  愛、喜び、平和に満ちあふれた心の状態
  神の国が自分の中に実現し始めます。
 
 
  その結果、自然と波紋のように
  心のうちに起こった変化が周囲の人にも広がっていくのです。
 
 
  神の国は、死んでから実現するのではありません。
 
 
  すでにこの世にいながら
  自分の中に神の国を見ることができるのです。
 
 
  やがて肉体の死を迎えますが、恐れることはありません。
 
 
  この世にあって、神の国を生きている人にとっては
  死は単なる通過点にしか過ぎないからです。
 
 
  むしろ、死はこれまでの人生の実りを収穫する時
  すばらしい瞬間となるのです。
 
 
  なんと明るい未来が待っていることでしょうか。
 
 
◇神の種と別の種

  朝顔の種を蒔いたら、その種は必ず朝顔になります。
  ひまわりの種を蒔いたら、その種は必ずひまわりになります。
 
 
  朝顔の種を蒔いたのに、ひまわりの花が咲くことは決してありません。
 
 
  では、わたしたちの心に神の種が蒔かれたら
  その心はどうなるでしょうか。
 
 
  神と同じ心になるはずです。
 
 
  心に宿した種は、自然界と同様
  その遺伝子に従って、自然に成長していくのです。
 
 
  そして、神は永遠の命をもっておられますから
  その人も永遠の命に生かされます。
 
 
  では、神以外の種が蒔かれると?
 
 
  やはり人は、その蒔かれた種のようになるはずです。
 
 
  おそろしい犯罪を犯した人に取り調べをすると
 
 
  自宅から、たくさんのホラー映画や殺人のビデオが押収された
  というような報道をよく耳にします。
 
 
  その人の心には、犯罪の種が蒔かれ
  知らず知らずのうちにその木が成長していたのかもしれません。
 
 
◇こころに神の種を

 わたしたちはどんな種を心にまいたらよいのでしょうか。
 
 
  聖書の言葉を心にまくことは、非常に有益です。
  なぜなら、聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれた書物だからです。
 
 
  しかし、今日はそこからもう少し踏み込んでみましょう。
  聖書の言葉の中でも、ズバリ命を宿した「神の種※」を見つけたいのです。
 
 
   ※「神の種」という言葉は,新約聖書ヨハネの手紙一3:9に見られる。
     神の種を宿した人は神から生まれたとあり、命を宿していることの根拠。
 
 
  なぜなら、聖書にはすばらしいことが書かれていますが
  中には「誰々が死んだ」「誰々が罪を犯した」という言葉もあるからです。
 
 
  これも、神の霊の導きの下に書かれた文章の一部ですが
  この言葉自体が、わたしたちを新しく生まれ変わらせることはありません。
 
 
  では命を宿す「神の種」とは何でしょうか。
 
 
  それは、聖書の言葉の中でも
  神ご自身をあらわす言葉と言えるでしょう。
 
 
  その言葉が、イコール神ご自身、神の本質、神の性質すべてを内蔵している言葉
  それこそが「神の種」です。
 
 
  種の中には、根も茎も、枝も葉も、花も実も
  すべての要素が内蔵されているように
 
 
  神の種にも、神の命、神の性質、すべてが宿っているはずだからです。
 
 
  神は御自分を現して言われました。
  「アニーフー」
  「われは主なり」(イザヤ43:13文語訳)
 
 
   ※神の名は出エジプト3:14など複数の箇所で名乗られ、それぞれに神の性質を
    あらわしているが、今回は「われは主なり」(アニーフー)を採用している。
 
 
  神みずからが御自分を現して名乗られた名。
  これこそは神ご自身であり、神の命、性質すべてを内包した神の種です。
 
 
  神の名が、わたしたちを生まれ変わらせる「神の種」であり
  どれほど重要な意味をもつかは以下の箇所からわかります。
 
 
  「主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。」(ヨエル3:5)※ 
 
   ※この言葉は、使徒言行録2:21,ローマの信徒への手紙10:13でも引用されている。
     旧約の預言者と新約を代表する二人の使徒が口をそろえて語っている。
 
 
  さらにイエスご自身も語られました。
 
 
  「わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。
   わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」(ヨハネ17:26)※
 
 
   ※「イエス」という名は、神がこの地上でおとりになった名。尊ぶべき名であることは
   当然であるが、ここでは神のご本質を現す名(御名)とは区別している。
   イエスは、御名を伝える目的は彼らの内にいる(宿る)ためであると語っている。
 
 
  この神の種が、心に蒔かれる時
  その人は神の心を自分の心とすることができます。
 
 
  そして神の国はその人を通して
  実現していくのです。
 
 
◇結び
 
「神の種」は、今日も無条件にすべての人に向かってまかれています。
 
 
  なぜなら、主イエス・キリストが、全人類の罪の身代わりとなって十字架にかかり
  死んでくださったことにより、全人類に救いがもたらされたからです。
 
 
  イエスを受け入れた人、その名を信じる人々には
  神の子となる資格が与えられたのです。(ヨハネ1:12参照)
 
 
  この種をしっかりと受け止める「良い地」に落ちた種は
  すくすくと成長し、30倍、60倍、100倍の実を結ぶと聖書は言っています。
 
 
  大切なことは、心から「神の種」を求め
  主の名を呼ぶことです。
 
 
  そのとき、「良い種を蒔く者は人の子※」(マタイ13:37)とあるように
  イエス自らが神の種をあなたの心にまいてくださるのです。
 
 
   ※人の子=イエス
 
 
  神は約束して言われます。
  「わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト記20:24)


  今日わたしたちも、あかるい未来への種まきとして
  すばらしい祝福の約束を信じ、主の御名を呼びましょう。
                                                                われは主なり!





2011年8月23日火曜日

ご案内☆9月のバイブル・サンデー


残暑お見舞い申し上げます。
朝晩は涼しくなり、赤とんぼもとびはじめ、
残暑の中にも少しずつ秋を感じるようになりました。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

さて、9月18日(日)は「人生の四季を生きる」と題したバイブル・サンデーです。
人生の四季をどう生きればよいか、
聖書を通して、ご一緒に学びたいと思います。

季節の変わり目、心の栄養補給をしませんか?
お待ちしております!!

2011年8月7日日曜日

ご案内☆8月のバイブル・サンデー

残暑お見舞い申し上げます。
立秋とは名ばかりの厳しい暑さが続いておりますが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

心地よい秋風が待ち遠しいですね。

さて、今月も21日に、バイブル・サンデーが予定されています。

暑い中ではありますが、皆様のお越しをお待ちしております。






2011年8月4日木曜日

7月24日 チャペル・コンサート




福井教会の夏のチャペル・コンサート、たくさんの方のご来場ありがとうございました。

今回のチャペル・コンサートは「希望」をテーマに進めさせていただきました。

賛美を通して、本当の希望や,平和について何か考えたり、感じたりする一時となったのではないでしょうか・・・。

私たちは本当に小さな存在であっても、世界に希望や喜び、光をもたらす存在、平和の道具にならせていただきたいと思いました。



平和の祈り
ああ主よ、わたしを、あなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに、光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは、与えるので受け、ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
アーメン

2011年6月10日金曜日

6月6日 春山小学校 2年生★教会探検

 今日は、春山小学校の2年生の子供たちが、町探検で福井教会に来てくれました。
福井教会に探検に来てくれるようになって、今年でもう、4年目になります。

今年はどんな子供たちかな?と楽しみにしていました。

教会の中が見たい!教会ってどんなところ?
何をするの?と興味津々の子供たちでした。

10分ほどしか時間がなくて
教会の中を見てもらい、質問に答えてあっという間に
時間が来てしまいました。


またゆっくり遊びに来てね!

★福井教会では、毎週日曜日9:45から10:30まで
  教会学校をしています。
  だれでも、いつでも、教会学校に参加できます!
  待ってます!!

礼拝堂入り口


礼拝堂




















質問しているところ
















3Fの小聖堂から





















2011年6月5日日曜日

ご案内☆6月のバイブル・サンデー

爽やかな初夏を迎えました。
福井教会の駐車場の屋根に
かわいいツバメさんがせっせと巣作りをしています。

無事にヒナが産まれるといいなあ、と楽しみに
見守っているところです。



さて6月のバイブル・サンデーは19日(第3日曜日)10:30~です。

バイブル・サンデーは、教会は初めてという方にも、
わかりやすく聖書のお話をしています。
どなたでも、お気軽にお出で下さい。

お待ちしております!

2011年5月21日土曜日

アンネのバラが咲いています

今年も、福井教会の前庭にアンネのバラが咲きました。
アンネのバラは「アンネの日記」で有名な少女アンネの形見のバラです。

世界の平和を願うアンネの遺志を、私たちもひきついで行きたいと願っています。

「もし、神様がわたしを長生きさせてくださるなら、
 私はつまらない人間で 一生を終わりたくありません。
 わたしは世界と人類のために働きます。」(アンネ・フランク)






アンネのバラの花は、美しく変化する性質を持っています。
つぼみの時は赤色、開花するとオレンジ色、黄色がかった黄金色に

さらに時間の経過とともに日差しを浴びて
花びらの先から次第にサーモンピンクに変色し
さらに濃く変色して赤色に近くなります。

このアンネのバラの色の変化は
「アンネの心」の成長を表していると言われています。

近くに来られた際は、どうぞご覧になってください。

アンネのバラについて、もっと詳しくお知りになりたい方は
アンネのバラ物語」を見てください。

2011年5月17日火曜日

5月15日 それを口にした瞬間、人生を良い方向に向かわせる まほうのコトバ

◆聖書の言葉
 ・出エジプト記20:24
 「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
  わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」

 ・イザヤ書43:13(文語訳)
 「われは主なり」




◆バイブル・メッセージ

◇序

今日のバイブルサンデーのテーマは、
「それを口にした瞬間、人生を良い方向に向かわせるまほうのコトバ」です。

「まほうのコトバ」
なんだか怪しいタイトルですね。

もちろんそれは魔術や呪術といった意味合いのものではありません。
一言で現実を変えてしまうような、不思議な、ミラクルなイメージが
この言葉にはあるので、今回はあえて「まほう」という言葉を使いました。

実際には、まほう以上の言葉です。

さて、わたしの出身は静岡県です。
窓を開けると富士山がよく見えて、子どもの頃から富士山は風景の一部でした。

静岡県は全体的に水がおいしいようですが、わたしの住んでいた地域の水も
格別冷たくておいしい水でした。
水道水からミネラルウォーターを飲んでいるような感覚です。

それもそのはず、わたしたちが飲んでいたのは、
いつも見ていた富士山の雪どけ水だったのです。

富士山に積もった雪どけ水が、一滴一滴、地下を通って、
近くにある柿田川の湧水(東洋一の湧水と呼ばれる)からわき出しているそうです。

驚きなのは
とても長い年月(諸説あるが一説では400年)がかかっているということでした。

何年も前に空から降った雪どけ水を、現代のわたしたちが飲んでいる・・・
もし仮に400年だとすれば戦国時代の水を飲んでいるのか!
と不思議な気分になりました。

はるか過去にもたらされた天の恵みが、現在にも恩恵をもたらす。

聖書の言葉もまさにそうです。
何千年もむかしに語られた神の言葉が現在にも影響を与えているのです。

「神の言葉は生きており」(ヘブライ4:12)
と聖書にありますが、今も生きてはたらく祝福に満ちた言葉を
あなたにプレゼントしたいと思います。

◇まほうのコトバ

「われは主なり」(イザヤ43:13文語訳)
「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
 わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト記20:24)

今日みなさまにプレゼントしたいまほうのコトバは、この言葉です。

この言葉の中に、どんな状況からも、人生を良い方向に向かわせる
もっとも具体的な秘訣が示されています。
なぜならこれは、神の約束だからです。

内容は非常にシンプルです。

方法は一つ。神の名を唱えること。
場所は限定されていません。どこでもよい。
結果、神が来て祝福してくださる。

これだけです。

だれでもできます。
いつでもできます。

「われは主なり」(イザヤ43:13文語訳)
 
  ※神の名は出エジプト3:14など複数の箇所で名乗られ
   それぞれに神の性質をあらわしているが
   今回は「われは主なり」(アニーフー)を採用している。

この名を唱えるならばどこであっても、
わたしは即座にあなたのところに行って、あなたを祝福する。

あなたが呼べば、わたしは答える。
これが神の約束です。

この「唱える」は、「覚えさせる」とも訳されています(新改訳・口語訳参照)。

実際には「覚えさせる」のニュアンスのほうが強い気がします。
いずれにしても「唱える」と「覚えさせる」の両方の意味が含まれています。

人間の側から見れば、自発的に神の名を唱えるわけですが、
神の側から見れば、神がご自分の名を覚えさせておられる、となるでしょうか。

ということは、神の名を覚えて唱えること
そこにすでに神の導きがあると言えるかもしれません。

神の名を知る、神が自分の名を覚えさせられるということは
決して偶然やってくるものではありません。

それは人生の中でもっとも重要な出来事であり、恵みの時です。

「われは主なり」
「わたしの名の唱えられるすべての場所において
(わたしの名を覚えさせるすべての場所において)、
 わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト記20:24参照)

「われは主なり」
この神の名を口にした瞬間、これまで無関係であった、
神とその人との間に、接点が生まれます。

「われは主なり」
この言葉を唱えた瞬間、自分の名を呼ばれた神は、
すぐにその人に臨み、祝福されます。

「われは主なり」
神の名を呼んで神が来られたということは、
その瞬間から、人生が良い方向に向かっていることを意味します。

暗闇に電気がつくと、その瞬間、闇は去ってなくなるように
神は光ですから、この方が来られた時点で、
わたしたちの人生を覆う闇、心を覆う闇は消え去っていくのです。

◇実例

-実際の礼拝では、ここでいくつもの実例を紹介させていただきました-

 ・一人の青年の体験。大事故のさなか、神の名が自分を守ってくれたという経験。
  その事故の経験が、人生を変えていくこととなった。

 ・彼が他の人にそのことを話した数日後、
  それを聞いた人が同じような事故を経験する。
  そして神の名が自分を守ってくれたと証言。

 ・ある婦人。家のリビングで、毎日人しれず神の名を唱えているうちに
  その場所が祝福されていく。
  そのリビングで家族やさまざまな人の人生が変えられ、祝福されていくこととなった。

 ・世界で1,2例、日本でも症例のない危機的な病にかかられた女性。
  4度の生命の危機から守られる。

 ・余命2ヶ月と宣告された末期ガンの方が神の名を唱えると癒され、2年後に再会。
                                       
  などなど。

◇結び

ここまでたくさんの実例を紹介してきました。

「我は主なり」
「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
 わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」
             (出エジプト記20:24)

この神の約束がいかに真実で
「それを口にした瞬間、人生を良い方向に向かわせるまほうのコトバ」と題した
その理由が少しでもおわかりいただけたでしょうか。

この約束は、わたしたちに無条件に与えられています。

本来なら、それを受ける資格はわたしたちにはありませんが
2000年前、主イエス・キリストが神と人間の架け橋となり

全人類のために十字架にかかって死んで下さったことによって
それを受け取ることができるようになったのです。

主イエス・キリストをまことの神、救い主と信じて
イエスの名(神としての名)を呼ぶ者に
救いと祝福がもたらされるのです。

 ※「イエス」という名は、神がこの地上でおとりになった名。
   尊ぶべき名であることは当然であるが、
   ここでは神のご本質を現す名(御名)とは区別している。

冒頭の富士山の地下水のたとえのように
2000年前、人類にもたらされたその恵みが
地下水のように脈々と受け継がれ

信じて神の名を呼ぶ者の心に今も泉となってわき上がる
変わることのない神の約束なのです。

あなたもそのすばらしい恵みを体験されますように。
絵に描いた餅で終わることがありませんように。

ぜひ主の御名を呼び、実際に体験してみてください。

「われは主なり」

それを口にした瞬間
いつ、どこにいても、あなたは神様とつながるのです。

神とつながったその瞬間
人生はすでに良い方向へと、向かい始めています。

一度開かれれば永遠につきることのない命の泉が
御名を呼ぶすべての人の心に開かれますように。

この祝福の言葉、まほうのようにすばらしいコトバ、御名が
あなたの心に無限にあふれますように。

主は約束して言われます。
「わたしの名の唱えられるすべての場所において、
  わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」
             (出エジプト記20:24)

あなたもぜひこの神の御名を呼んでみてください。
「われは主なり」

2011年5月8日日曜日

5月8日 父の日&母の日礼拝


今日は母の日です。
福井教会では父の日&母の日礼拝として記念の礼拝を持ちました。

子ども聖歌隊のみんなが、お父さんお母さんに、日ごろの感謝を込めて、
また神様が私たちにお父さん、お母さんをくださったこと、
神様の家族である、教会の皆さんと礼拝できることを
神様に感謝して賛美6曲と、ミュージックベルを2曲演奏しました。

♪おはよう!今日は日曜(手話)
おはよう!今日は日曜、朝日は空に輝く 
この日 光が創造された よろこびの日

おはよう!今日は日曜、雨や嵐の朝でも 
この日 聖なる礼拝の日よ よろこびの日・・・


♪神様に感謝(手話)

神様に感謝しましょう。
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ
神様はよいものを くださった
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ



♪天にいます私たちの父

天にいます私たちの父 私たちの主よ
御名があがめられますように 私たちの主よ・・・



♪主イエスの道を
主イエスの道を 歩こう まっすぐに
主イエスの道を 歩こう 迷わずに

主イエスは道です 真理です 命です
命の道を 歩こう 終わりまで

♪悲しいことがあっても
悲しいことがあっても 泣きたいときにも
いつもいつも 君のこと 守ってくれるだろう
イエス様がきて 守ってくれるだろう

♪みよ、主の家族が
みよ、主の家族が 共に集まる
なんと大きな御恵みよ なんと大きなよろこびよ

♪ミュージックベル演奏 「大きな古時計」「アメージング・グレイス」


お母さん、お父さん方が子どもたちの成長にとても驚き、
感動した!涙が出そうだった・・・などと、
感想をくださいました。

これからも子どもたちの成長を、
共に祈り、見守らせていただきたいです。

最後に御言葉と、感謝のメッセージを添えた壁掛けをプレゼントしました。


お父さん、ありがとう!
お母さん、ありがとう!